今年も庭に色彩が戻ってきました。
春一番のクロッカスが花開き、黄色いレンギョウも咲いています。
冷たい風と、初夏のように強く照らす太陽。
何だか年々、佐保姫は荒々しくご登場になってきた気がいたします。
・・・と、いうような文を書きかけて日常に追われるまま更新できずにいるうち、なんと桜が開花してしまいました。例年より早いなんてものではありません。
桜の開花は道南の函館でG.W.前後。つまり連休に帰省すれば、だいたい満開で花見が楽しめたのですが、今年は五稜郭の桜に間に合いそうもありません。
だって、もう道央でも咲いちゃった(驚)
桜の写真はないのですけれど…
ひっそり咲く梅の花と、春の宵に浮かぶ三日月。
北の大地の季節感は独特で、おそらく本州の方は驚かれるかと思いますが、桜と梅がほぼ同時に見られたり、もしくは梅が後だったりすることも。
先日、子供たちの通学路を歩いてみたら、たんぽぽ、水仙、ヒヤシンス、チューリップ、ムスカリ、パンジー、エゾムラサキツツジなどが一斉に咲いていました。
まだまだお日さまが顔を出さない天気の日や朝夕は気温一桁、日中の風も冷たかったりしますが、明らかに生命を鼓舞しているような光を浴びる春は、これから始まる季節のお祭り。
芽を出して、高く高く、伸びたいよね、そうだよね。
木蓮の大きなつぼみ。小鳥がとまっているかのよう。
この分だとライラックの花も例年になく早そうです。
我が家の庭は昨年に引き続き、家族の手による改修工事中。
花壇にあった球根も移動し、申し訳ないけれど今年は仮の場所で咲いてくれました。チューリップも冬の間ほぼ放置だったプランターで健気に咲いてくれて。
花屋に並ぶような気品でなくても季節を感じさせてくれる花が好き。
私の夢は庭に咲く花や枝を手折って、家の中に活けられるようになること。
紫陽花や芍薬はもちろん、主枝になるような枝ものや葉ものも自前で調達できたら最高。
庭は一日にしてならずなので、まだまだ気の早い話だけれど。
ほんの猫の額ほどの自然でも、共に季節を越えていると、思っていた以上に様々なことを教えてくれる。
花を咲かせるまでには根を張り幹を強く育てる時間が必要なこと、害虫に見えたものが実はつぼみを開かせるために必要な働きをしてくれること、どんなにか細くても支えをしてやれば大雪の冬を越えて年々逞しく育って伸びてゆくこと、かと言って冬囲いや草取りなどの手入れを全くしなければ丈夫なはずの品種もダメにしてしまうこと。
人間はバタバタと生きてしまうけれど、雪が解けてまた春が来て、同じ場所で去年とは少し違う姿で佇んでいる草木花を見るたび、時間を重ねて生きていくことのお手本のように映ったりします。
植物だけでなく虫たちも活動開始で、そこここに気配が。
昔は絵や写真でも苦手なくらいでしたが、草取りで鍛えられ(そして人は慣れる生き物です)、同じ場所で生きる不思議な連帯感が生まれ、今では虫も居ない庭など殺虫剤漬けになっていそうで逆に恐ろしいと感じるまでに。気持ちはわかるけど、除草剤や殺虫剤だらけの庭で犬や子供を遊ばせるって考えるだけで怖い。あと、やっぱり、この大地は人間様だけの所有物じゃないんだから、とも。
でもさすがに夜中、何か尋常でない気配が目の端で動いて、それが足音しそうに大きい蜘蛛だった時には…ヒッ!と息を呑みました…。テッシュ何重にして、くるんで窓の外に退散願うまで、心拍数と冷や汗のスリル&サスペンス。
北は植物同様、虫のサイズも慎ましい方だと思うので、これくらいで慣れたといっても私は南の方には住めないなと思っています。Gの恐怖も知らないし。
決して虫好きにはならないでしょう。でも共存することは出来る。
こういう考え方が出来るようになったのは大きい。
腕っぷしの良い女性が蛾に悲鳴を上げて逃げ回っていたのを見て、今ならちょっと勝てそうだと思う。可愛げがなくなってしまっただけかもしれません(笑)
これから公園の芝生でお弁当を広げたり寝ころんだとき、足や腕の上を働き蟻が通っていくのを感じたり、蝶がひらひら踊ったり、秋になったらトンボがとまる、触れ合いはそれくらいで、後は草取りの時に挨拶する程度がちょうどいいかな。
ご訪問ならびに拍手、ありがとうございます♪